夢の見方を忘れてしまったとき——「欲しい」を取り戻す
子どもの頃は、欲しいものも、なりたいものも、次から次へとあふれていました。それがいつのまにか、「何が欲しい?」と聞かれても、何も浮かばなくなっている。夢を見る、という感覚そのものを忘れてしまったように感じる。でも、それはあなたの心が枯れたからではありません。「欲しい」は才能ではなく、使わないと鈍る技術なのです。
「欲しい」は才能ではなく、技術
私たちはつい、「欲しいものがすぐ浮かぶ人」と「浮かばない人」がいると思いがちです。まるで生まれつきの性格のように。でも実際には、望む力は筋肉に近いものです。
使えば育ち、使わなければ鈍ります。長いあいだ「やるべきこと」だけで日々を回していると、「したい」を感じる筋肉はだんだん動かなくなります。夢を見られないのは、欠陥ではなく、ただ長く使っていなかっただけなのです。
なぜ、その筋肉は鈍ったのか
多くの場合、それは生きるために必要だったからです。やりたいことより、やらなければならないことを優先してきた。望んでも叶わない経験が続いて、いつしか望むこと自体をあきらめた。
それは弱さではなく、賢い適応でした。期待しなければ、がっかりせずにすみます。でも、その守りが習慣になると、喜びの入り口まで一緒に閉じてしまう。だから今、少しずつ扉を開け直していいのです。
名前のない願いは、あなたを動かせない
心のどこかに「何か」を欲しい気持ちはあるのに、それが何なのか分からない。そんなもやもやした状態では、願いはあなたを動かしてくれません。
願いは、はっきり名前がついて初めて、力を持ちます。「もっと自由でいたい」という霧のような気持ちが、「週末は予定を入れずに過ごしたい」という言葉になった瞬間、それは手を伸ばせる現実になります。名づけることが、最初の一歩なのです。
書くことが、願いを輪郭にする
頭の中の願いは、つかもうとすると霧のように逃げます。けれど紙や画面に書き出すと、ふしぎと輪郭をもちはじめます。ぼんやりした「何か」が、ひとつの言葉になる。
書く効果は、魔法ではありません。曖昧なものを具体的にする、という地に足のついた働きです。書いて、眺めて、少し直す。それを繰り返すうちに、自分が本当は何を欲しがっていたのかが、だんだん見えてきます。
鈍った筋肉は、少しずつほぐす
最初から大きな夢を取り戻そうと焦らなくて大丈夫です。鈍った筋肉は、軽い運動からほぐすのが一番です。今日は、ほんの小さな「いいな」を、ひとつ書くだけでいい。
「あの店のコーヒーが飲みたい」「窓辺で本を読みたい」。役に立たなくてかまいません。小さな「欲しい」を書きとめるたびに、次の「欲しい」が少しずつ見つけやすくなります。望む力は、そうやって静かに戻ってきます。
Psyquoiaがお手伝いできること
もし「欲しい」を忘れてしまったと感じるなら、ほんの小さな願いから、書く練習を始めてみませんか。Psyquoiaは、そのための無料でプライベートな場所です。あなたのリストは暗号化され、見られるのはあなただけ。立派な夢でなくていい、ひとつの「いいな」から始めて、鈍った筋肉を少しずつほぐしていけます。誰にもせかされず、自分のペースで望む力を取り戻すための、静かな場所です。引き寄せも、宇宙も関係ありません——あるのは、あなたと、あなたが本当に欲しいものだけです。
